September 06, 2005

『対岸の彼女』を読む

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☆今日は、ようこさんにTBです。まだ読み終わってなかったら、ネタばらしになっちゃうんで、ゴメンなさいです☆

角田光代さんの『対岸の彼女』を読みました。昨年下半期の直木賞を受賞した作品です。角田さんご自身のことは、雑誌などで何度か拝見していたのですが、作品を読むのはこれが初めてでした。

帯には

「女の人を区別するのは女の人だ。既婚と未婚、働く女と家事をする女、子のいる女といない女。立場が違うということは、ときに女同士を決裂させる」

とある。この時点で、「いわゆる『負け犬』と『勝ち犬』の対比の物語?」と想像した。で実際、話は、30代既婚子持ちの(当初)専業主婦の小夜子と、未婚で企業家の葵の登場からはじまる。

…ところが、物語はそんな単純なものじゃなかった。

男性にはわかりづらいかもしれないけれど、とかく女性は「群れ」(仲良しグループ、と言い換えられるか?)があらゆるところに存在し、それらにどう関わってゆくかは、学生時代、社会人、ご近所づきあい、お姑さんや親戚… と、もしかしたら一生頭を悩ませられる問題にもなり得るのだ。

この物語に登場する小夜子と葵、そしてもうひとり、葵の高校時代の親友として回想的に登場するナナコは、この「群れ」に器用に馴染むことができない。それが、思春期から30代半ばの現在に時を移しながら、時には他人に対する不信感、裏切られた気持ち、一線をひいたつきあいなどを招くことになり、傷ついたり悩んだり。

いじめや仲間はずれ、まで極端でなくても、人生のあらゆる場面で、仲良しグループが自然発生し、そこで自分と他者を知らず知らずのうちに区別した経験は、多くの人が持っているのではないだろうか。この物語の中では、そのあたり、女性のある意味醜い部分が、読んでいて辛くなるほど丁寧に描写されている。私も、自分の学生時代を思い返しては、時々「イタッ」と思ってしまった。

ウラの帯で角田さん自身が書いているように、「おとなになったら、友達をつくるのはとたんにむずかしくなる」。確かに、30代半ば頃?からは、生活や立場のバリエーションも増え、その中で「全身で信じられる女友達」をつくるのは、至難だろう。でも私は、そういう友達は、社会的な立場や環境に関わることなく、作ってゆけるものだと信じたいと思う。

そういう意味では、この物語では、救いのあるステキなラストシーンが待っています。

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